【日本・そばの歴史】江戸時代から現在までの歴史

蕎麦は江戸時代の食生活に広く親しまれていました。 蕎麦の歴史からさかのぼり、現代まで続く蕎麦文化の歴史を解説します

蕎麦は、江戸時代の人々にとって、とても親しまれていました。

当時、蕎麦以外にもうなぎの蒲焼、寿司、天ぷらなどがよく食べられていましたが、
一年を通して見ると、蕎麦を食べる量が、この食べ物よりもずっと上回っていました。

では、蕎麦がなぜこれほどまでに好まれていたのでしょうか?
この記事では、江戸時代から現代までの蕎麦文化とその歴史を通じてご紹介します。

蕎麦の歴史

江戸時代の蕎麦文化

江戸時代、蕎麦は庶民から大名まで、幅広い層に愛されていました。俳句や川柳にも、しばしば登場し、日本の生活文化に深く根付いていることが伺えます。

蕎麦は、蕎麦切として知られるようになりました。これは、徳川家康が関東移封された1590年(天正18年)以前に登場したとされています。

水車挽きの技術の発達

江戸時代、日本では、水車挽きの技術が大きく発展しました。
技術の進歩は、私たちの生活で例えるならスマートフォンの普及が現代の生活にイノベーションを起こしたかのように、蕎麦粉の生産にも大きな変化をもたらしました。

当時、新たな土地の開拓が積極的に推奨されており蕎麦の栽培が大幅に増加。

この技術の普及は、蕎麦打ち技術の向上を促し、さらには、蕎麦消費の拡大にも繋がりました。

水車挽きによる蕎麦粉の生産は江戸時代に大きく普及しました。

開拓が推奨される中、蕎麦の作付けが増加し、その結果、蕎麦打ち技術の向上と共に消費が拡大しました。

大晦日に蕎麦を食べる習慣の起源

師走に蕎麦といえば、年越しそばをイメージする人が多いです。

これは江戸時代から定着した食習慣で、いまでも歳末の風物詩になっています。

元々は、月末に食べる「三十日蕎麦」という習慣があり、これが大晦日に残ったと考えられています。

年越し蕎麦(としこしそば)に込められた4つの意味

年越し蕎麦(としこしそば)に込められた意味は、日本の伝統的な習慣として、新年を迎える特別な願いや希望を象徴しています。

もう少しわかりやすい形でまとめると以下のようになります。

1.長寿と健康の願い

蕎麦(そば)の細く長い形状は、長生きと健康を象徴しています。
年越しそばを食べることで、新しい年も長寿と健康が約束されると考えられています。

 

2.苦難の断ち切り

そばは、切れやすい性質を持っています。過去1年間の苦労や不運、厄災、それから借金などを断ち切り、清算する意味が込められています。
新しい年を新たな気持ちで迎えるための象徴とされています。

 

3.金運の向上

昔、金や銀を細かく加工する職人が、仕事で散らばった金銀の粒を集めるのに蕎麦粉を使っていた説があります。この話から、蕎麦を食べると金運が良くなる。
つまりお金がより集まってくるという考えが生まれました。
 
簡単に言えば、蕎麦を食べることで、もっとお金を引き寄せることができるという幸運の願いが込められているのです。
 
 

4.無病息災の祈り

蕎麦は、厳しい環境にも耐え、再び元気を取り戻す力を持っているといわれています。
たとえば、風雨にさらされたとしても、太陽光を浴びると再び元気になります。
この特性から、蕎麦を食べることで、来年も病気や災害から守られ、いつも元気であるようにという願いが込められています。

縁起物としての蕎麦の意味

soba noodle hand-making

蕎麦は、ただの食事以上のものを表しており、年越し蕎麦には、人々の幸福、健康、そして繁栄への願いが込められています。

おせち料理と同様に、年越し蕎麦は、昔の人々が大切にしていた伝統や文化を、今に伝える貴重な習慣の一つです。

江戸の夜と蕎麦売り

江戸時代の夜には、蕎麦売りが人々の生活に、根付いていました。

蕎麦売りは、「担ぎ屋台」として知られ、テレビドラマや英語のチョイ役などの役割で
時々登場します。

現代にたとえるなら、夜の外食文化の先駆者とも言えます。

夜になると、蕎麦売りが町中を巡り、徐々に有名な店が生まれました。
その結果、江戸の人々はうどんよりも蕎麦を好むようになり、江戸は「蕎麦の町」として知られるようになりました。

江戸の夜には、蕎麦売りが庶民の生活に密着浸透していました。


夜蕎麦売りは「担ぎ」の屋台で、テレビや英語のチョイ役で、出てくることでもお馴染みです。


これは現代風に表現すると、夜の外食産業の先駆けとも言える存在でした。

昔の日本の味を味わう

ざるの上に乗ったそばとつゆ、お箸

蕎麦は玄そばのどの部分を粉にするかによって、さまざまな種類の蕎麦になります。
中心部(さらし粉)だけで打てば純白の「さらしなそば」に、皮に近い部分を多く使うと色が黒くなります。
また、お茶や柚子を加えた「変わり蕎麦」もあり、職人の技術の粋が表れています。
「そばがき」や「おやき」など、蕎麦を用いた様々な食べ方で、昔の日本の味を楽しむことができます。

蕎麦は玄そばの、どの部分を粉にするかによって、さまざまな種類の蕎麦になります。

中心部(さらし粉)だけで打てば純白のさらしなそばに、皮に近い部分を多く使うと色が黒くなります。

また、お茶や柚子を加えた「変わり蕎麦」もあり、職人の技術の粋が表れています。

そばがきおやきなど、蕎麦を用いた様々な食べ方で、昔の日本の味を楽しむことができます。

現代の蕎麦とグローバルな展開

ざるの上に乗ったそばとつゆ、お箸

蕎麦が、世界中で人気を集めている主な理由は、グルテンフリーであることです。

健康を重視する現代のトレンドに合致し、蕎麦は日本だけではなく、世界各地で愛されるようになっています。

特に米国では、日本食の人気にともない、蕎麦への関心も高まっています。
伝統的な製法に現代技術を取り入れることで、蕎麦は新しいグローバルな食文化の一部として受け入れられています。

 

蕎麦がグローバル化する一番の理由はグルテンフリーです。
健康的な側面が強調され、
現代において、蕎麦は日本だけではなく、世界中で愛されています。

たとえば、米国では、日本食ブームによって蕎麦が認知されつつあります。

伝統的な製法と現代の技術が融合し、蕎麦は新しいグローバルな食文化の一部になっています。

まとめ

この記事では江戸時代から、今日に至るまでの蕎麦の歴史について詳しく解説しました。

蕎麦は日本の食文化にとって非常に重要であり、江戸時代から多くの人々に親しまれてきました。

当時、水車挽き技術の発展が蕎麦粉の生産をささえ、蕎麦の普及に大きく貢献しました。
その後も、蕎麦は日本人の生活に欠かせないものとなり、現代では製麺機の使用によって、より美味しい蕎麦を作ることができるようになりました。

伝統的な手打ち技術を取り入れつつ、製麺機を使えば、さらに手間のかかっていた十割蕎麦を作ることも可能になります。

大和製作所では、製麺機を使った体験イベントを定期的に開催しております。
お持ちの蕎麦粉を使って、製麺体験することができます。

この機会に、製麺機(坂東太郎)での蕎麦作りを試してみるのはいかがでしょうか?

この記事では、江戸時代から現在までの、蕎麦の歴史に焦点を当てて解説しました。

蕎麦は日本の食文化に置いて、非常に重要な役割を果たし、江戸時代から多くの人々に愛されてきました。
江戸時代には、水車挽き技術の進歩が蕎麦粉の生産を助け、蕎麦の広まりに大きく寄与しました。

その長い歴史を通じて日本人の生活に密接に関わってきたことがわかります。

現在では製麺機の使用により、さらに美味しい蕎麦を作ることが可能です。
伝統的な蕎麦打ちの技術を取り入れて再現し、手打ち職人でも難しいとされる十割蕎麦坂東太郎では再現可能です

大和製作所では実際に、製麺機を実際に使用し、参加者が直接製麺体験できるイベントを開催しています。

実際にお持ちの蕎麦粉を使用して、製麺機デモンストレーションで試してみてはいかがでしょうか?

プレゼンター

藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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