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導入されている製品
はじめに
ラーメン店を始められた経緯を教えてください
最初、創業したのは弁当屋なんです。
本当は創業のときからラーメン屋をやりたかったんですけど、僕、料理は全くの素人だったので、いきなりラーメンはちょっと難しすぎるなと思って、とりあえず弁当屋から始めようと。
10軒ぐらい店舗を出してみたんですけど、低価格路線だったので赤字がちょっと続いて、うまくいかなくて。それで、何かしないといけないなと前から思ってたんですね。
弁当屋をやってる間に、同時並行で焼き鳥屋も1店舗、弁当屋を簡単な焼き鳥屋に改装してやってたんですけど、思ったほど売り上げも上がらなくて。いよいよもう、会社が潰れそうな感じになってたんです。
それで、この危機を乗り越えるためには、もうラーメンしかないと。
全然分からないまま始めたんですけど、弁当屋や焼き鳥屋でいろいろな食材を扱ってきたので、今ならどうにかできるんじゃないか、いや、やらないと潰れてしまうという思いのもとラーメン屋を始めました。
会社員時代にラーメンとの関わりがあったのでしょうか?
全然関係ないです。どっちかというと元々は酒屋だったんですけど、酒のチェーンを作るっていう会社があって。そこで、数店舗の頃から1200店舗ぐらいに行くまで、ずっと、営業開発から商品部長まで、いろいろとしていました。
最初、創業したのは弁当屋なんです。10軒ぐらい店舗を出してみたんですけど、低価格路線だったので赤字がちょっと続いて、うまくいかなくて。それで、何かしないといけないなと前から思ってたんですね。
本当は創業のときからラーメン屋をやりたかったんですけど、僕、料理は全くの素人だったので、いきなりラーメンはちょっと難しすぎるなと思って、とりあえず弁当屋から始めようと。
弁当屋をやってる間に、同時並行で焼き鳥屋も1店舗、弁当屋を簡単な焼き鳥屋に改装してやってたんですけど、思ったほど売り上げも上がらなくて。で、いよいよもう、会社が潰れそうな感じになってたんです。
それで、この危機を乗り越えるためには、もうラーメンしかないと。
全然分からないまま始めたんですけど、弁当屋とか焼き鳥屋でいろいろ食材を触ってきたので、徐々に、一番最初ほどではないですけど、だんだん食材に対しての知識がついてきて。
今だったらどうにかできるんじゃないかと。いや、やらないと潰れてしまうっていうぐらいのところから、ラーメン屋を始めました。
コロナ禍に転機、独学での挑戦
独学での挑戦とコロナ禍の転機
開業当時は、ラーメン作りは独学だったんですね
そうですね。あとはラーメンって、今だに思ってるんですけど、すごく難しくて。元々、宇和島って「美味しいラーメン屋がない」ってよく言われてたんですね。
お客さんはみんな、県外も含めていろんな美味しいラーメン屋を食べてきていて、それぞれ「美味しい」っていう基準や経験がある中で、何が美味いんだろうっていうのを見つけるのが、すごく難しかったなっていうふうに思ってます。
独学で始めた頃は、今出しているメニューとは全然違う、どっちかというと魚介主体のあっさりしたスープをやったりしたんですけど、それもなかなか思ったように売り上げが上がらなくて。
コロナがきっかけで
大和さん(麺学校)に行く前に、ちょっとコロナの話になりますけど、いいですか。
ちょうどコロナが来て。ここは繁華街のすぐ横にあるんで、今の店も夜主体だったんですね。飲んだ帰りのお客さんをターゲットにした店だったんですけど、コロナになって、売り上げが本当に10分の1ぐらいに落ちていって。これはまずいぞと。このままだったら潰れると思って。それで、「いや、本気出そうと(笑)」
今まで夜3時ぐらいまでやっていました。正直しんどかったんですよね。
しんどいんで、スープにかける想いとか、仕込みに割く時間っていうのが、なかなか取れなくて。どっちかというと、楽に走っていたように思います。それが、コロナのおかげって言うたらおかしいんですけど、やる気に火がついて。
そこで、「よし、スープも全部変えよう」「本気で、もう、鶏ガラ豚骨をバンバン炊いたるぞ」「十何時間でも炊いちゃるぞ」っていうふうに思って。それが今のラーメンに繋がっています。
結局、コロナがきっかけで、本気のスイッチが入ったんだと思います。
「悩み」の数だけ、ラーメンの面白さを見出せる
いろんな「悩み」の中から ラーメンの面白さを見出せるかどうか
お店を続ける中で、「大変だったこと」「やりがい」など教えて頂けますか
色んな「悩み」からラーメンの面白さを見出せるかどうか
お店を続ける中で、「大変だったこと」「やりがい」など教えてください
あの、事前に質問をいただいていて……。いざ、やりがいって言われると難しいなと。
でもやっぱり、ラーメン屋って本当に、何かやりがいを感じないと、多分続けられないと思うんですよね。営業時間も長かったり、仕込み時間も含めて労働時間が長いんで、やっぱ大変だと思います。
でも僕は、元々サラリーマン時代から、夢とかビジョンとか、目標を持ってないと、すごく働くのが嫌な人間で。ずっと考え続けられる仕事がいいなと思ってて。そういう意味で、やっぱラーメンって、奥がすごい深いと思うんですよね。
今、創業15年、ラーメンだったらもう10年近くになるんですけど、未だに悩むことっていっぱいあって。味の部分も含めて、やっぱ奥が深いんで。そこに、ラーメンの面白さを見出せるかどうかかなと思います。
会社員時代にラーメンとの関わりがあったのでしょうか?
全然関係ないです。どっちかというと元々は酒屋だったんですけど、酒のチェーンを作るっていう会社があって。そこで、数店舗の頃から1200店舗ぐらいに行くまで、ずっと、営業開発から商品部長まで、いろいろとしていました。
お店について
お店の名前についてもお伺いしてもよろしいでしょうか?
初めは、焼き鳥屋を改装してラーメン屋にしたんですけど、その時、「海風(うみかぜ)」っていう名前だったんですね。宇和島っぽいかなと思って。海とか風みたいな感じ、海風みたいなイメージを出そうと思って、海風にしました。そこから移転して、同時に2店舗やったんかな?その時は次は「風」っていう名前にして。
さらに、ここ(今の場所)に移転したんですけど、8年ぐらい前かな?その時に、かっこいい名前にしたいなって。風に関わるかっこいい名前にしたいなっていう感じで。
「凪(なぎ)」とかは有名なラーメン屋さんがあるんで、ない名前で、風にまつわる名前で、「こがらし」かなと。
「凩(こがらし)」って、なかなかパッと読める人っていないんで。そこらへんも、ちょっと面白いかなっていうふうに思って、凩っていう名前にしました。
ラーメンやメニューへのこだわりはありますか?
こだわりは、意外に結構あって。大和さん(麺学校)でよく言われたんですけど、繁盛店は少ないメニューの方が繁盛してるって、教わって。
確かに、昔からやってるところは、「ひと品」強い商品があるんですけど、ラーメンブームが長く続いた中で、これから生き残っていくにはって考えた時に、やっぱお客さんも多様化しているし、元々、宇和島はラーメン文化がなくて、香川からのうどん文化だったり、ちゃんぽんが一部あったりするんですけど。
その中でラーメンを成功させようと思ったら、多様化に対応して、いろんなところから攻めていかんといけないんじゃないかなと。
だから、もちろん1つずつ手を抜くことなく。うちであったら、豚骨と鶏ガラを長時間炊いた白湯スープと、それを応用したつけ麺、油そばみたいな感じで。メニューは多すぎるって言われるぐらい、多いとは思うんですけど。
でも、自分で製麺できるんで、それぞれ異なる麺を作れますし、スープに合うような麺を作れるし。自家製麺にして、すごく良かったなっていうふうに思うところですね。
メニューは、本当、大和さんに教わった通りなんですけど、頑張って作って、こだわってやっております。
従業員の方と一緒にお店を続ける中で、「共有している価値観」「これだけは大切にしよう」と話をしていることはありますか?
正直に言うと、もともと明確な理念があったわけではないんです。ですが、補助金の申請や資料を作る中で「形にしておかないといけない」と思い、まとめるようになりました。これが僕のすべての想いを完全に表しているかというと、正直そうではない部分もありますが…。
会社「株式会社サプライズワン」では、理念と価値観として次の5つを掲げていて、「お客さんへの思い」「品質へのこだわり」「挑戦と成長」「仲間への敬意」「地域への貢献」この5つを柱として、共有するようにしています。
大和製作所を選んだ理由
愛媛県から一番近いというのが一番大きかったです。それと、ラーメン学校をやられていたので、いろいろなことを相談できるかなと思いました。
麺だけじゃなくて、スープのこととかも相談できるんじゃないかと。それが大和さんを選ばせてもらった理由です。
大和麺学校に来るキッカケはありますか
(インターネット)検索で、うどん、そば、ラーメンとか調べていて。藤井社長(現:藤井相談役)の本(書籍)も買って読んだり、ホームページも同時に見ていて。10年ぐらい前かな?
ただ、その時はすごくうまくいっていない時だったんで、お金がなくて。ラーメン学校代を払うのが大変で、行けなかったんですよね。もう自分でやろうやろうって言って、独学で始めて。
コロナになって、いろんな補助金が出て。その時に決めたことがあって。補助金も積極的に活用しながらも「その代わり、売り上げを上げるぞ」と。
売上を上げながら、補助金も活用しながら、ちゃんと設備投資して、お金をもらうだけじゃなく、それをしっかり事業に生かそうと思いました。
コロナの時に、「事業再構築補助金」っていうのが出たんですよね。それが大きな補助金だったので。それを活用しようと。資料も全部、誰にも相談することなく、自分で頑張って作って、提出したら、まあ、見事通ったので。
それもあって、製麺機と、ラーメン学校代と、うどんそば学校代を全部、その補助金の中に入れて。半分以上補助金として出たので、それで行こうと思いました。
大和麺学校の印象を教えてください
実際、行くまでは、ラーメン学校も、「うわあ、怖いんじゃないだろうか」とか、すごく行きにくいというか。昔の大和さんの学校の、結構厳しいこと言われてるDVDか何かを見たことあって、「あんな感じで指導されたら、ちょっと自分、どう反応するか分からんな」とか。そういう思いはあったかもしれないです、10年ぐらい前の。でも実際、今行ったら、みんな優しい方で、全然。
「ああ、これ、ちょっと流れが変わったんだろうな。時代に合わせてるんやろな」と思いながら。
大和製作所について、ご意見ご要望など(弊社に対するイメージ / 365日メンテなど)
製麺の故障は、今までないんですが、1回スープ漉し機が動かないってすぐ電話して、すぐにかけてつけてもらってすぐ使えるようになったというときはありましたね。
あとは、ちょっと距離感というか、壁を感じることもあります。もう少し気軽に相談できる環境があるとありがたいなと思います。
また、ラーメン屋としてのつながりだけでなく、実はうどんにも興味があって、いつかはうどん屋もやってみたいと思っています。ただ、ノウハウはうどん学校で学んだことしかないので、横のつながりがあると心強いですね。ビジネスにつながるような「うどん屋さんの紹介」や「同業者同士のマッチングの場」があったらいいなって思いますね。
リッチメンⅠ型を導入してみて
「リッチメン導入前に感じていた不安」「実際使ってみて良かった点」「逆にもっとこうなればいいと思う点」はありますか?
リッチメン導入前は、仕入れ麺でやっていて、そこからメニューというか、いろいろと(今後を)考えた時に、自家製麺の方がいいと思い、導入しました。
最初は東京の有名な製麺所から麺を仕入れていたんです。でも、スープに合わせて柔軟に対応してもらうのは難しいし、ロットや送料の問題もあってコストも高かった。
スープって、やっぱり変わっていくものなんですよね。その都度、製麺所の担当者さんに相談するのも、すごくやりにくかったりして。自分が思うようにならないことも多かったです。
自家製麺にしてからは、スープの変化に合わせて自分で配合を調整できるようになりました。加水を変えたり、小麦粉を変えたり、いろんな配合を試したり。それが自由自在にできるようになって、本当に良くなりましたね。自分の思うラーメンを形にできる。
もうこれ、本当に宣伝じゃないんですけど、悩んでる人がおったら「早く自家製麺にした方がいいよ」って言いたいくらいですね。
ただ、やっぱ時間がかかるんで、仕込みの。そういう意味でも、本当に覚悟はいるかなという風には思います。
リッチメン導入前は、仕入れ麺でやっていて、そこからメニューと言うか、いろいろと(今後を)考えた時に、自家製麺の方がいいと思い、導入しました。
最初は有名製麺所から麺を仕入れていたんです。でも、スープに合わせて柔軟に対応してもらうのは難しいし、ロットや送料の問題もあってコストも高かった。
自分のスープが変わったら、自分で加水とか調整したり、小麦粉変えたり、いろんな配合を変えたり、それが自由自在にできるようになって、自家製麺に切り替えてから、もうすごく良くなりましたね。これは本当に大きいですね。自分の思うラーメンを形にできる。
もうこれ、本当に宣伝じゃないんですけど、悩んでる人がおったら、「早く自家製麺にした方がいいよ」って言いたいくらいですね。
ただ、やっぱ時間がかかるんで、仕込みの。そういう意味でも本当に覚悟はいるかなという風には思います。
スープ漉し機も導入頂いているんですね
先ほど見ていただいた、大きい寸胴と、IHと、スープ漉し機は同時に入れたんですけど。それまでは、あれの半分ぐらいの寸胴で、ガス火で、漉すのは全部手でやっていました。
(導入して)もう、すごい楽になりましたよね。ラーメン学校行った時に、そのスープ漉し機を実際使ってみて、「うわ、これ絶対入れよう」と。それも別の補助金だったんですけど、うまく県の補助金があって、それも全部補助金使って、上手く導入しました。
製麺所もご検討されていると伺ったのですが
そうですね。もう、すでに営業許可は取ってまして。
製麺機1台、ギリギリで置けるかどうかのスペースしかないんですけど、もうすでに今、4店舗ぐらいにおろしてます。ラーメン屋さん同士の紹介で広がっています。
今後の展望・挑戦について
挑戦してみたいこと・宇和島という土地柄でどのようなお店でありたいですか?
とりあえず今のまま、頑張ってやろうかなっていうふうに思ってます。ラーメン屋を店舗展開するつもりは、もう全然なくて。それよりも、製麺所としての「麺の卸」であったり、逆に、「うどん」っていうところは、やっていきたいな(挑戦してみたい)というふうに思ってます。
店の位置づけというか、今後なっていきたいお店としては、やっぱ、100年続く店。
ここのお店の近くに、100年以上やられている、うどん、そば、ちゃんぽん、ラーメンって、いろいろ出してるところとかあるんですよね。うちのお店もそうなったらいいなという風に、思いながら頑張っていきたいです。
ご導入いただいております製品
