インタビュー動画
今回導入された製麺機
はじめに
お店を始められたきっかけや成り立ちについて教えてください。
お店の創業は明治10年。初代は蕎麦屋からスタートしました。最初は蕎麦だけだったんですけど、戦後になってうどんやラーメンも始めて、そこからチャンポンとか、ちょっとずつメニューが増えていきました。
チャンポンは戦後からですね。宇和島に初めてもやしを作る業者さんができて、長崎から中華麺の作り方を教わった方が製麺業を始めて。その人たちと一緒になってチャンポンを始めました。最初は今みたいに具がいっぱいあるわけじゃなくて、もやしと少しの具材をのせたシンプルなチャンポンでしたね。
人気メニュー
よく選ばれるメニューはありますか?
やっぱりうちの一番人気はチャンポンで、全体の半分以上はチャンポンが出ます。家族連れのお客様も、観光で来られた方も、まずはチャンポンを頼まれます。
また、味比べセットも人気で、いろんなメニューを少しずつ食べたいという方は、味比べを選ばれます。カレーうどんも出ますし、最近はカレーラーメンもよく出ます。
創業当時から守ってきたもの・変えてきたことはありますか?
創業当時の味がどうだったかはわからないんですけど、うちはずっと「いりこ」だけで、出汁をとってます。それだけは守って使い続けています。
お店を継ぐことになったきっかけ
お店を継ぐことになった経緯はありますか?
去年の9月に父が体調を崩し、年明けには状況が変わりまして…。急なことではあったんですが、長男として自分がやっていくしかないと思って継ぎました。
これまで事務的なことは父親任せだったので、知らないことも多くて不安もあったんですが、弟とも話し合い、自分がやっていこうと決めました。
まだお店を継いだばかりなので偉そうなことは言えないんですけど、いらしていただいたお客様には気持ちよく食事を楽しんでいただけるように。それだけは心がけています。
小さい頃から厨房に入って見たり聞いたりしていたんですか?
おじいちゃんの時は、まだ自分は小学生だったんで、そうですね、見たりはしてましたね。
その頃は今よりももっと猛烈にみんな働いていて、昼休憩もなしで昼から夜の8時ぐらいまで営業していました。「すごく働くな」と思いながら見ていました。
150年近くの歴史を持つお店として、現在をどのように捉えていますか?
今の世の中、そんなに先々を見据えても厳しいものがあります。とりあえず、「1年ごとに続けていく持続」だと思います。
製麺機導入の背景
製麺機を導入された背景を教えてください。
最初は、大和製作所の小次郎を使って、うどんとそばを打っていました。中華麺は製麺業者さんから仕入れていたんですが、その業者さんが廃業してしまって…。宇和島にはもう製麺業者さんが一軒もなくなってしまったんです。
仕入れが難しくなったことをきっかけに、自家製麺へと舵を切ることになりました。比率を見たら中華麺が一番出る。だったらうちで中華麺を打って、うどんとそばは仕入れに切り替えようと思いました。
リッチメンを使ってみていかがですか?
使い勝手はだいたい問題ないんですけど、足踏みペダルがちょっと踏み込みにくいのと、長さを調整するつまみが動きやすいんで、もう少し硬めがいいかなとは思います。それ以外は特に問題ないですね。
うどん・そばを仕入れに切り替えたとのことですが、讃匠を選ばれた理由はありますか?
うどん・そばは価格と品質のバランスを考えて、讃匠さんを選びました。
あとは、讃匠さんも大手なので。納期をちゃんと守ってくれるし、そういう発注システムとかがもう完成されているので、その辺りの安心面ですね。
「うどん・そば」の製麺から「ラーメン」へ自家製麺に切り替えるのは大きな変化だと思います。困ったことや、逆に良かったことはありますか?
切り替えてよかったことは、やっぱりコストが下がったことですね。製麺業者さんから取り寄せるよりも、自分で製麺した方が単価は安くなりますんで、それはよかったなと思います。
困ったことは、自家製麺なので、やっぱり打つときにある程度時間がかかってしまうことですね。
大和製作所へご要望などありますか?
サポートもよくしてくださいますし、とってもいい会社だと思うけど、社員さんはちょっと大変かなと思いますね。
今後の展望や、挑戦したいことは。
今後の展望や、挑戦したいことはありますか?
やっぱり地方なんで人口は減っていきますし、地元だけで商売を続けるのは難しくなっていくと思います。
だから出汁の通販とか、ちょっと外にも目を向けていかないと、やっぱりこれから続けていくのはちょっと難しいかなと思っていますね。
今は色んなことで手一杯なところもありますけど、麺もこれから改良していきたい。色んな粉を使いながら、もっと幅を広げていきたいですね
