| 今日は、朝から日本経済新聞社の取材です。私は、よく取材をお受けするのですが、このような本格的な取材はそれほどありません。世代がどんどん進んでいき、今朝来て下さった記者の方も非常に若い方でした。私のやっていることに大変興味がある様子で、色々なことを聞いてこられました。 |
| 私がなぜ川崎重工をやめて今の仕事に取り掛かったのか?とか、なぜ製麺機の仕事を始めたのか?とか、なぜ麺の製造販売を始めたのか?とか、非常に詳しく聞かれました。 |
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| 川崎重工をやめ、このビジネスをはじめてから、既に29年が経とうとしています。29年前、学生時代から好きだった飛行機の設計をしたいという、その一心で、私は川崎重工に入りました。 |
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そして予定通り、川崎重工の航空事業部機体設計課に配属になったのですが、当時の日本では飛行機の新設計というものはほとんどやっておりませんでした。アメリカからのライセンス導入や、古い機体のオーバーホールなど、そうした仕事が中心だったのです。 |
| そうした中、川崎重工の航空事業で私が3年間の間に主にやった主な仕事は、「ファントム」のライセンス導入でした。これはかなり面白かったです。私が担当したのは、主翼後部胴体の燃料系統だったのですが、色々な冶工具を発注したり、テスト用の機器を発注したりと、楽しく仕事をやらせていただいたものです。 |
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それから坂出工場の造船事業部に転勤になり、3年間、20万トンタンカーや、大きなタンカーのエンジン胴部の設計に従事しました。この設計もなかなか楽しい仕事でした。そうして、その後今の仕事を設計業から始め、製麺機の製造、それから販売へと発展していくこととなったのです。 |
| 私が一番苦手とするのは、販売です。もともとエンジニアだったものですから、営業とかいうものは大の苦手です。今でも営業は大変苦手です。私はお客様に、「買ってください、お願いします」と頭を下げてまわることが1番嫌いなのです。これは何よりもしたくないことなのです。ですから、頭を下げて買って貰わなくても済むように、色々なノウハウを私なりに勉強しお客様に提供しようと考えました。 |